2015年12月6日日曜日

第25回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2016年2月13日() 13:30~18:45
会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
13:30~16:00 第 I 部 合評会 武田 悠(著)『「経済大国」日本の対米協調 ―安保・経済・原子力をめぐる試行錯誤、1975〜1981年―』ミネルヴァ書房、2015年:http://www.minervashobo.co.jp/book/b195968.html

   基調講演:武田 悠(外務省 外交史料館 事務官)

       コメンテータ:楠 綾子(国際日本文化研究センター 准教授)
       コメンテータ:吉岡 斉(九州大学 比較社会文化研究院 教授)



16:15~18:45  II 部 講演 コメント
    講演:松本佐保(名古屋市立大学 大学院人文社会系研究科 教授)
       コメンテータ:新谷 崇 (東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所)
       コメンテータ:高橋沙奈美(北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 助教)
       コメンテータ:八十田博人(共立女子大学 国際学部 准教授)

冷戦期バチカンの国際政治における役割
The international role of the Vatican during the long term Cold War

 冷戦の開始は一般的に1945年とされるが、ロシア革命勃発の1917年とする説もある。本講演は冷戦を、ソ連の樹立から崩壊までの1922~1991年として捉え、この間一貫して「反共産主義」の立場であったバチカンが、国際政治においてどの様な役割を果たしたかを概観する。拙著『バチカン近現代史』*の第IV章~VIII章に主に焦点をあて、お膝元であるイタリアを中心に東欧を含む欧州との関係、そして冷戦時代の主要アクターである米国との関係、さらには「米国とソ連の代理戦争」と言われたベトナム、ラテン・アメリカや中東の紛争も視野に入れて考察する。
 バチカンとムッソリーニの間に締結された1929年のラテラノ条約、ナチス・ドイツとの1933年の政教条約、そして1939年の米大統領ルーズベルトの個人特使のバチカンへの派遣、戦後1948年のイタリア総選挙への米国との協力介入、第二バチカン公会議の国際政治的なインプリケーション、西ドイツの東方外交への支援、ベトナム戦争やラテン・アメリカでの紛争への米国の介入への支援、ヘルシンキ軍縮会議への関与、そして冷戦の崩壊にむかっての米国との協力関係などについてである。
* 松本佐保(著)『バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘』中央公論新社、2013年:



2015年10月8日木曜日

第24回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年12月5日() 13:30~18:45
会場 】 上智大学 四谷キャンパス2号館 402号室

【 プログラム 】
13:30~16:00 第 I 部 合評会 梅村 卓(著)『中国共産党のメディアとプロパガンダ ―戦後満洲・東北地域の歴史的展開―』御茶の水書房、2015年:http://www.ochanomizushobo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-275-01087-2

    基調講演:梅村 卓(明治学院大学 非常勤講師)


        コメンテータ:金野 純(学習院女子大学 国際文化交流学部 准教授)

        コメンテータ:丸田孝志(広島大学 大学院総合科学研究科 教授)
           ファシリテータ:島田美和(慶応義塾大学 法学部 専任講師)



16:15~18:45 第 II 部 合評会 吉本秀子(著)『米国の沖縄占領と情報政策 ―軍事主義の矛盾とカモフラージュ―春風社、2015年:http://shumpu.com/archives/8270

    基調講演:吉本秀子(山口県立大学 国際文化学部 准教授


        コメンテータ:井川充雄(立教大学 社会学部 教授)
        コメンテータ:土屋由香(愛媛大学 法文学部 教授)
           ファシリテータ:名嘉山リサ(沖縄工業高等専門学校 総合科学科 准教授)



2015年9月17日木曜日

第23回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年11月14日() 13:30~18:15
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 2号館 303号室

【 プログラム 】
13:30~15:45 第 I 部 講演 コメント
    講演:米 多(Mi Duo / 東京大学 大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻)
        コメンテータ:松田康博(東京大学 東洋文化研究所 教授)

アジア分断国家による反共同盟構築の試み (1964-1969)
East Asia's Divided Nations' attempt to Establish Anti-communist Military Alliances (1964-1969)

 1945年9月の日本降伏によって第2次大戦は終結するが、日本の支配から解放された朝鮮半島、中国、ベトナムは即時独立を達成できず、それぞれ分断国家への道をたどることになる。欧州に始まった冷戦が、1950年の朝鮮戦争勃発でアジアにも拡大すると、アメリカは、日本や韓国、中華民国と安全保障条約を締結すると共に東南アジアを中心にSEATOを発足させ、各分断線で共産主義勢力と対峙する体制を整えていった。
 この「ハブ・アンド・スポーク」と呼ばれる体制により、中華民国、韓国、南ベトナムは米国の軍事援助を確保できた一方で、国家統一を目指す軍事行動を制限されるようになった。かくして、華・韓・越3国はそれぞれ米国側と交渉しながら、「大陸反攻」「北進統一」を構想し、互いに反共同盟の樹立を模索するようになる。
 この華韓越3国間の反共同盟構築についての従来の研究は、史料公開の制約もあり、1960年代前半までにとどまっていたが、本報告では近年公開された関係各国の外交文書などを用いることで、1964年から1970年前後までのアジア冷戦変容期を中心に検討を進める。また、この時期の冷戦変容への各国の対応について、一国史的枠組みを超えて考察することで、アジア自由主義諸国の相互認識およびそれによる影響を論じていく。



16:00~18:15 第 II 部 講演 コメント
    講演:志村三代子(都留文科大学 文学部 准教授)
    講演:名嘉山リサ沖縄工業高等専門学校 総合科学科 准教授)
        コメンテータ:泉水英計(神奈川大学 経営学部 教授)


サイパンから沖縄へ ―『戦場よ永遠に』の映画化をめぐって―
From Saipan to Okinawa: On Filming of “Hell to Eternity” (1960)

 本発表の目的は、『戦場よ永遠に』に描かれた「サイパンの笛吹き男」を読み解くことによって、冷戦期のハリウッドで描かれたアメリカ/日本/沖縄という三国間の地政学的イメージを検証することである。
 『戦場よ永遠に』は、1944年のサイパン・テニアン戦で1500人もの日本軍人と民間人を投降させ人命を救ったことによりアメリカ国内で一躍有名人となった海兵隊員ガイ・ガバルドンをモデルにした映画作品である。ガバルドンの名声は、アメリカのテレビ番組This is Your Lifeで紹介され、その評判に注目したハリウッドのプロデューサーが映画化を企画した。しかし、彼のキャリアは映画化された際に修正が施された。『戦場よ永遠に』が重要なのは、サイパンが舞台であるにもかかわらず、ロケーション場所がアメリカ占領下の沖縄であり、多数の住民がエキストラとして出演していることから、サイパン戦のイメージが、唯一の地上戦であった沖縄戦のアナロジーとして考えられていることである。
 本発表では、ガイ・ガバルドンの報道、This is Your Lifeで紹介されたガイ・ガバルドンの史実と、映画化作品の差異を検証することによって、冷戦期の海兵隊協力映画としての本作の意義を明らかにしていきたい。




2015年8月3日月曜日

第22回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年10月3日() 13:30~18:30
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 2号館 303号室

【 プログラム 】
13:30~16:00 第 I 部 合評会 河合信晴(著)『政治がつむぎだす日常 ―東ドイツの余暇とふつうの人びと」』現代書館、2015年:http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5760-3.htm

    基調講演:河合信晴(成蹊大学 法学部 非常勤講師)

        コメンテータ:芦部 彰(東京大学 大学院人文社会系研究科 研究員)
        コメンテータ:西田 慎(奈良教育大学 教育学部 准教授)
            ファシリテータ:伊豆田俊輔(日本学術振興会 特別研究員PD)




16:15~18:30 第 II 部 講演 コメント
    講演:長澤裕子(東京大学 グローバル地域研究機構 韓国学研究部門 特任講師)
        コメンテータ:小林聡明(日本大学 法学部 専任講師)

1950年代の日米韓関係における原子力平和利用計画の始動
Launching of "Atoms for Peace" Program in the Japan-U.S.-ROK Trilateral Relationship in the 1950s

 311東日本大震災以降、東アジアの原子力をめぐる問題が、北朝鮮のミサイル発射や核開発問題と共に注目される中、2015年6月、米韓両政府は、改定米韓原子力協定に正式に調印した。韓国外交部を始めとする関係4組織は、正式調印に先立つ4月、米韓政府間の妥結を合同プレスリリースとして公表し、「40余年前に締結された現行協定が、我が国の先進的な位相を反映した新しい協定に代替されたのだ」と大きく評価した。
 現行の米韓原子力協定は、1972年に署名、翌1973年3月に発効した協定が、失効を避けるために2013年4月に二年間延長されたものである。同協定の延長にあたっては、核燃料の濃縮と再処理を行う上で、米国政府側の事前同意や許諾が必要とされている点が、日米原子力協定と異なり、不平等協定であると、指摘されてきた。
 本報告では、同協定よりさらに遡り、1956年2月の「米韓原子力協定」と1955年「日米原子力協定」を日米韓等の開示資料に基づき分析する。そもそも韓国が戦後初めての原子力導入期に、どのように米国との不平等な条約の締結に踏み切ったかについて、日米韓の原子力平和利用計画が始動した時期を中心に再考する。




2015年5月17日日曜日

第21回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年7月11日() 13:30~18:15
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 2号館 303号室

【 プログラム 】
13:30~16:00 第 I 部 講演 コメント
    講演:吉次公介(立命館大学 法学部 教授)
      コメンテータ:根本 敬(上智大学 総合グローバル学部 教授)
      コメンテータ:宮城大蔵(上智大学 大学院グローバル・スタディーズ研究科 教授)


戦後日本=ビルマ「特殊関係」の形成 1951-1963
The Establishment of Japan-Burma "Special Relations" after the World War II: 1951-1963


 2011年3月にテイン・セイン政権が発足した後、ミャンマー(ビルマ)では民主化・国民和解が進展している。アウン・サン・スー・チー国民民主連盟(NLD)議長が下院議員として国政に関与するようになり、ミャンマーと欧米の関係も急速に改善した。
 世界がミャンマーの動向に注目するなか、2014年、日本とミャンマーは国交樹立60周年を迎えた。約6000万人の人口を抱えるミャンマーは、経済的にも、地政学的にも日本にとって大変重要な国である。また、日本とミャンマーは、歴史的なつながりも深く、ゆえに「特殊関係」にあると言われた。アジア太平洋戦争期、日本陸軍の南機関がイギリスに対抗するために、「ビルマ独立の父」といわれるアウン・サン将軍らビルマ独立を志す若者30名に軍事教練を施したためである。
 しかし、戦後日本とビルマの関係に関する一次史料を用いた実証研究は十分に進んでおらず、賠償問題の妥結のプロセスも解明されているとは言い難い。本報告では、アジア冷戦の推移を視野に入れつつ、1951年のサンフランシスコ講和から1963年の賠償再検討問題の妥結までの日緬「特殊関係」を跡付け、日本外交の成果と限界を明らかにしたい。



16:15~18:15 第 II 部 講演 コメント
    講演:伊藤頌文(慶應義塾大学 大学院法学研究科)
      コメンテータ:小川浩之(東京大学 大学院総合文化研究科 准教授)


冷戦変容期のイギリス外交と東地中海の同盟管理 ― キプロスSBAを巡る議論を中心として―
British Policy under Détente and the Alliance Management in the Eastern Mediterranean:
Focusing on the Discussions on the Sovereign Base Areas of Cyprus


 冷戦期の東地中海は西側陣営にとって戦略上の要衝の一つであった。しかし1970年代にデタントが進展すると同地域を巡る同盟内の問題が顕在化した。なかでも、かつて東地中海を帝国の要と捉え、影響力を行使してきたイギリスは、世界大のコミットメントから離脱した後も関与の維持を余儀なくされていった。
 本報告は従来の冷戦史・同盟研究で必ずしも注目されてこなかった東地中海におけるイギリスの役割と同国が負った責任を、この地域における同盟管理の文脈に引き付けて検討する。その際に本報告が注目するのは、イギリスが旧植民地であるキプロスに、その独立後も保持し続けた主権基地領域(SBA)である。SBAは東地中海におけるイギリスのプレゼンスと対ソ抑止の象徴であった一方で、その維持コストに比して有用性はきわめて限定的であり、常に撤退論が浮上する存在でもあった。なぜイギリスは多大な負担を強いられるSBAを保持し続けたのか。
 この問いに答えるために、本報告では当該期のイギリスが置かれた状況を東地中海の同盟内問題と絡めて分析することで、イギリスの西側同盟内での立ち位置と、その背後にある歴史的遺産の一側面に光を当てることを目指したい。



2015年3月22日日曜日

第20回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年5月16日() 13:30~18:00
【 会場 】 上智大学 四谷キャンパス 中央図書館 L-912号室

【 プログラム 】
13:30~15:45 第 I 部 講演 コメント
    講演:松村史紀(宇都宮大学 国際学部 准教授)
      コメンテータ:鄭  成(早稲田大学 現代中国研究所 主任研究員・准教授)
      コメンテータ:丸山鋼二(文教大学 国際学部 准教授)


アジア冷戦のローカル化 ―中ソ同盟のなかの在華ソ連軍再考 [1949-55年]―
The Localization of the Cold War in Asia:
Re-examining the Role of Soviet Troops in the Sino-Soviet Alliance (1949-55)


 これまで中ソ同盟の誕生によって、アジアに冷戦の二極対立が成立したと考えられてきた。この評価は総体としてみれば間違いではないだろうが、いくらか誇張が含まれている。本報告ではいくつかの拙稿をもとに、ふたつの点から中ソ同盟の意義を再考してみたい。
 ひとつは、中ソ関係の二元構造についてである。両政府レベルでは正式な「同盟」を成立させ、ソ連の軍事的役割を大幅に低減させた。一方、両党レベルでは非公式な(あるいは未熟な)中ソ分業を予定し、アジアの革命の主導役を北京に委ねる態勢をとろうとした。全体として、アジア冷戦の前線からソ連が大きく後退するとともに、中国が前面に出るような態勢がつくられていったと考えられる。
 もうひとつは、中ソ同盟が誕生したときの東アジア情勢についてである。当時、旧敵国(日本)との講和が未完であったばかりか、米国の同盟網も未整備であった。したがって、中ソ同盟は対日講和を求めるための道を残したうえで、対米闘争を無条件に、全面的に展開するための措置はとらなかったと考えられる。
 以上の二点について、中ソ同盟の軍事的支柱であった在華ソ連軍の役割に焦点を当てて具体的に考察したい。


16:00~18:00 第 II 部 講演 コメント
    講演:志田淳二郎(中央大学 大学院法学研究科)
      コメンテータ:倉科一希(広島市立大学 国際学部 准教授)


ジョージ・H・W・ブッシュ政権とCFE交渉、1989-1990年
―在欧米軍削減問題とドイツ統一問題からの接近―
The George H. W. Bush Administration and the CFE Talks, 1989-1990:
Based on the Withdrawal of U.S. Troops in Europe and the German Unification


 1990年11月19日、NATOとワルシャワ条約機構の全加盟国22カ国は、CFE(欧州通常戦力)条約に調印した。冷戦期長らく対峙してきた東西同盟間で結ばれた同条約は、「冷戦終結」の印象を人々に植え付けさせるものであった。本報告の課題は、CFE交渉に臨むジョージ・H・W・ブッシュ政権の意図を検証することである。
 従来のCFE研究では、史料上の制約から、CFE条約の構造を中心とした「静的側面」の分析に留まっていた。だが、冷戦終結関連の史料開示が進む近年、交渉に臨む各国政府の意図やそれらを背景にした交渉過程の詳細といったCFE交渉の「動的側面」に光を当てることが可能となりつつある。こうした現状に鑑み、本報告は、ジョージ・ブッシュ大統領図書館の未公刊史料を使用し、上記の課題に取り組む。
 アメリカ外交の視点に立ったCFE交渉の「動的側面」の検証にあたっては、東西関係における交渉過程だけでなく、当時アメリカ国内で議論されていた国防予算削減の一環としての在欧米軍削減問題や、ヨーロッパの安全保障環境を大きく変容させることが予想されたドイツ統一問題にも注目する。
 東西軍縮交渉とは別の文脈で進展したこれらの視角からCFE交渉に接近する本報告は、ブッシュ政権の意図のみならず、冷戦終結期の米欧関係にも新たな視座を提供する。



2015年3月2日月曜日

第19回例会

公開合評会 Naomi Oreskes & John Krige (eds.), Science and Technology in the Global Cold War (The MIT Press, 2014: http://mitpress.mit.edu/books/science-and-technology-global-cold-war

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年4月25日() 13:30~19:00
【 会場 】 早稲田大学 早稲田キャンパス 3号館 711号室

【 プログラム 】
13:30~14:30 第 I 部 基調講演: 山崎正勝   (東京工業大学 名誉教授) 

14:40~17:50 第 II 部  各章解説&コメント
  序章+第1章コメンテータ:伊藤憲二  (総合研究大学院大学 先導科学研究科 准教授)
           第2章コメンテータ:飯田香穂里(総合研究大学院大学 先導科学研究科 講師)
           第3章コメンテータ:濱村 仁(東京大学 大学院総合文化研究科)
           第5章コメンテータ:宮川卓也(日本学術振興会 特別研究員PD - 東京理科大学)
      (…休憩…)
           第6章コメンテータ:金山浩司(北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 研究員)
           第7章コメンテータ:石垣 勝(東京理科大学 非常勤講師)
           第9章コメンテータ:小山俊士(早稲田大学 人間科学学術院 助手)
           第10章コメンテータ:木村謙仁(日本エネルギー経済研究所 研究員)
           第11章コメンテータ:杉田 徹(法政大学 大学院政治学研究科)

18:00~19:00 第 III 部  総合討論
               特別企画:「ベルリン冷戦研究センター設立会議報告」
               報告者:土屋由(愛媛大学 法文学部 教授)


2015年2月1日日曜日

第18回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年3月22日() 15:00~18:00
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
15:00~18:00 講演 コメント
     講演:加藤智裕(一橋大学 大学院法学研究科)
        コメンテータ:伊藤裕子(亜細亜大学 国際関係学部 教授)

ケネディ政権期の南アジア政策 1961-63年 ―南アジアにおける冷戦の激化とインド洋への進出―
The Kennedy Administration’s Policy towards South Asia, 1961-63: The Escalation of the Cold War
in South Asia and Establishment of U.S. Military Presence in the Indian Ocean

 ケネディ政権期の南アジア政策には、他の冷戦期の政権と異なり、インドへの接近政策が展開されたという点に特徴がある。またケネディ政権は、南アジアにおいて多くの困難に直面した。例えば、インドへの援助をめぐるアメリカとソ連との競争関係や中印国境戦争の勃発、アメリカとパキスタンの同盟関係における相互不信の増大、アメリカとイギリスの南アジアにおける協調パターンの瓦解、パキスタンとアフガニスタンの国境問題などである。
 これまでの先行研究では、ケネディ政権の南アジア政策を論じる際に、中国要因が注目されてきた。中国要因というのは、62年10月に勃発した中印戦争によって、中国の南アジアにおける脅威が増大したということを主に意味する。これに対し本報告では、中国要因に加え、パキスタン要因、ソ連要因、そしてイギリス要因を加えることで、ケネディ政権期の南アジア政策の研究に新たな解釈を提示する。そこで、なぜアメリカはパキスタンを重視し続けたのか、という分析視角を設定することで、中東政策との連関やケネディ政権のインド洋進出の論理、柔軟反応戦略のインド洋地域への適応という新たな政策課題が浮き彫りとなってくるのである。