2014年11月30日日曜日

第17回例会

 公開合評会 齋藤嘉臣(著)『文化浸透の冷戦史 ―イギリスのプロパガンダと演劇性―』勁草書房、2013年:http://www.keisoshobo.co.jp/book/b122650.html

(※ 終了しました)
【 日時 】 2015年1月31日() 14:30~18:10
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
14:30~15:30 第 I 部 基調講演:齋藤嘉臣(京都大学 大学院人間・環境学研究科 准教授)

15:40~17:00 第 II 部 コメント
   第1~3章コメンテータ:松本佐保(名古屋市立大学 大学院人文社会系研究科 教授)
   第4~6章コメンテータ:伊豆田俊輔(日本学術振興会 特別研究員PD - 福岡大学)
   第7~8章コメンテータ:瀧口順也(龍谷大学 国際文化学部 講師)

17:10~18:10 第 III 部  総合討論
ファシリテータ:土屋由香(愛媛大学 法文学部 教授)


2014年9月21日日曜日

第16回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年11月29日() 14:30~18:00
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
14:30~16:20 第 I 部 講演 & コメント
     講演:麻田雅文(東北大学 東北アジア研究センター 教育研究支援者)
        コメンテータ:加藤聖文(国文学研究資料館 研究部 助教)
        コメンテータ:吉田豊子(京都産業大学 外国語学部 准教授)

中国長春鉄道の返還をめぐる中ソ関係 1949-1953年
The Return of the Chinese Changchun Railway to China and the Sino-Soviet Relations, 1949-1953

 1949年10月、中華人民共和国を建国した毛沢東と周恩来は、中国東北(旧満洲)の幹線である中国長春鉄道(以下、長春鉄道と略記)の返還を求めて、同年末からモスクワでスターリンらとの直接交渉を開始した。そして1950年2月に中ソ友好同盟相互援助条約の調印にこぎつけ、52年末までにソ連が長春鉄道を返還することで両国は合意した。
 中国側が成功したように見えるこの鉄道の返還交渉だが、毛沢東には大いに不満が残った。後年、その不満を折に触れて述べている。果たして、毛沢東の不満とは何だったのだろうか。一方のソ連側だが、第二次大戦前からあれほどこだわりを見せてきた、中国東北におけるソ連の最大の権益である長春鉄道を、スターリンが手放したのはなぜなのか。この間の交渉には様々な謎が残されている。
 本報告は、その交渉の駆け引きを、近年公開されたソ連の公文書を基礎にして論じるものである。これまで長春鉄道の返還にまつわる中ソの葛藤は、主に中国側の文書によって論じられてきたが、ソ連側の史料も活用することで、より客観的に交渉の経緯を把握し、中ソ関係の初期における両国の力関係をも明らかにできるだろう。



16:30~18:00 第 II 部 文献紹介(担当:小川佐和子 / 京都大学 人文科学研究所 助教)
Tony Shaw & Denise J. Youngblood (2010), Cinematic Cold War: The American and Soviet Struggle for Hearts and Minds, University Press of Kansas:

 

2014年8月1日金曜日

第15回例会

公開合評会 J.R. McNeill & Corinna R. Unger (eds.), Environmental Histories of the Cold War (Cambridge University Press, 2013:
http://www.cambridge.org/us/academic/subjects/history/history-after-1945-general/environmental-histories-cold-war?format=PB

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年9月20日() 13:30~18:20
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
13:30~14:30 第 I 部  基調講演&コメント
                基調講演:樋口敏広(京都大学 白眉センター 助教)
  第11章コメンテータ:濱村 仁(東京大学 大学院総合文化研究科)

14:40~16:00 第 II 部  各章解説&コメント
  第1章コメンテータ:金山浩司(北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 非常勤研究員)
  第2章コメンテータ:住田朋久(東京大学出版会 編集局)
  第3章コメンテータ:飯田香穂里(総合研究大学院大学 先導科学研究科 講師)
  第4章コメンテータ:宮川卓也(ソウル大学校 科学史科学哲学協同課程)

16:10~17:10 第 III 部  各章解説&コメント
       第9章コメンテータ:石垣 勝(東京大学 大学院総合文化研究科)
       第12章コメンテータ:卯田宗平(東京大学 東洋文化研究所 特任講師)
       第13章コメンテータ:瀬戸口明久(京都大学 人文科学研究所 准教授)

17:20~18:20 第 IV 部  総合討論  ファシリテータ:樋口敏広

2014年7月16日水曜日

第14回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年8月23日() 14:00~18:30
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 307号室

【 プログラム 】
14:00~15:30 講演:永田伸吾(金沢大学 大学院人間社会環境研究科 客員研究員)

米国・ASEAN関係の制度化 ―新冷戦と米国のアジア太平洋戦略―
The Institutionalization of the U.S.-ASEAN Relations: the New Cold War and the U.S. Strategy in the Asia-Pacific

 本報告は、米国・ASEAN対話の開始(1977年)や、米国を含む形でのASEAN拡大外相会議の開催(1979年)など、70年代末期より始まった米国・ASEAN関係の制度化に注目し、米国の対ソ封じ込め政策への回帰と新冷戦の幕開けにおけるその位置づけを検討する。
 70年代末期、ソ連海軍の太平洋におけるプレゼンス増大に直面した当時のカーター政権は、米国が「太平洋国家」であることを再認識し、海空軍力の増強などアジア太平洋戦略の再構築に努めた。この戦略再構築の過程で、米中国交正常化(事実上の米中協商)や在韓米軍撤退政策の見直し、そして在比米軍基地協定改定交渉の妥結などの2国間同盟・パートナー関係も強化・維持された。同時に、インドシナ情勢を契機にASEANを巡る多国間協議制度が米国のアジア太平洋戦略の中で重要な役割を果たした。これらの現象の検討を通し、冷戦後に形成されたアジア太平洋地域における多層的な安全保障の枠組みについて、冷戦期からの連続性で考察する際の視座を提供する。



15:40~17:00 文献紹介 I(担当:松嵜英也 / 上智大学 大学院グローバル・スタディーズ研究科)
Vojtech Mastny (2010), "Soviet foreign policy 1953-1962", in Leffler, M.P. & O.A. Westad (ed.), The Cambridge History of the Cold War, Vol.I, Cambridge University Press, pp.312-333.


17:10~18:30 文献紹介 II(担当:石垣 勝 / 東京大学 大学院総合文化研究科)
百瀬宏・植田隆子(編)『欧州安全保障協力会議(CSCE) 1975-92』日本国際問題研究所、1992年




2014年6月10日火曜日

第13回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年7月19日() 15:00~18:10
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
15:00~16:30 講演:土屋由香(愛媛大学 法文学部 教授)

冷戦初期アメリカの広報文化外交と対日反共秘密工作
― 心理学者マーク・A・メイによる1959年「情報諮問委員会報告書」に焦点を当てて―
The U.S. Public Diplomacy in the Early Cold War Era and Clandestine Anti-Communist Activities in Japan:
the 1959 Report of the U.S. Advisory Commission on Information by Psychologist Mark A. May

 2007年10月21日、共同通信社はアメリカ広報・文化交流局(USIS)が1950年代に日本で行っていた反共秘密工作についてのスクープ記事を配信した。この記事が依拠した資料は、「アメリカ情報諮問委員会」議長のマーク・A・メイが1959年に日本で実施した調査の報告書であった。報告書には、「広報・文化交流活動」と呼ぶには余りに露骨な秘密工作が多数含まれていた。アイゼンハワー政権期のUSISの活動の半数が政府の関与を秘匿(unattributed)した活動であったと言われるように、こうした秘密工作もまた、冷戦初期のアメリカ広報文化外交の一側面であった。
 本報告では、イェール大学の教育心理学者であったマーク・A・メイが、戦後10年以上にわたり情報諮問委員会の議長を務めることになった経緯をたどることで、戦時~冷戦初期のアメリカにおける知の動員体制の一端を解き明かすとともに、彼の報告書の内容を単なるスキャンダルとして見るのではなく、冷戦初期の広報文化外交の中に位置づけてその意味を考察したい。



16:40~18:10 文献紹介(担当:伊豆田俊輔 / 日本学術振興会 特別研究員PD - 福岡大学)
Vladimir O. Pechatnov (2010), "The Soviet Union and the world, 1944-1953", in Leffler, M.P. & O.A. Westad (eds.), The Cambridge History of the Cold War, Vol.I, Cambridge University Press, pp.90-111.
Norman Naimark (2010), "The Sovietization of Eastern Europe, 1944-1953", in Leffler, M.P. & O.A. Westad (eds.), The Cambridge History of the Cold War, Vol.I, Cambridge University Press, pp.175-197.




2014年5月16日金曜日

第12回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年6月21日() 15:00~18:10
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
15:00~16:30 講演:濱村 仁(東京大学 大学院総合文化研究科)

冷戦期アメリカにおける核不拡散原則と個別性問題
Nuclear Nonproliferation Principles and the Question of Particularity for the United States in the Cold War

 世界初の核保有国であるアメリカにとって、1945年以降の歴史とは即ち核開発の後発国に追われる歴史であったとすれば、1946年の原子力法に見られるように、その流れに歯止めをかけようとする核不拡散という発想が同国由来のものであることに不思議はない。とりわけ、圧倒的破壊力と防御不可能性を備えた戦略核兵器に国力差を相殺する作用があるとすれば、世界中に軍隊を展開する能力と意思を持つ超大国として、アメリカが一律的な核不拡散を推進する戦略的利害を持つことは自然であろう。しかし、現実の個別局面におけるアメリカの対応は、対外政策としての核不拡散原則の一律適用として理解するだけで充分だろうか。とりわけ、核不拡散政策の優先度が東西対立の苛烈さに反比例していたということがよく指摘される冷戦期において、アメリカは核不拡散原則と個別状況をどのように調整したのだろうか。本報告は、この問題を核開発段階、戦略的関係、核開発国属性という三つの視点から考察する。



16:40~18:10 文献紹介(担当:石垣 勝 / 東京大学 大学院総合文化研究科)
遠藤乾(編) 『 ヨーロッパ統合史 』 名古屋大学出版会、2008年:
*最新版『ヨーロッパ統合史 [増補版]』(2014年)は:http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0767-2.html



2014年4月12日土曜日

第11回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年5月17日() 15:00~18:10
【 会場 】 東京大学駒場 I キャンパス 14号館 307号室

【 プログラム 】
15:00~16:30 講演:松嵜英也(上智大学 大学院グローバル・スタディーズ研究科)

冷戦終焉におけるソ連邦解体と事実上の国家の形成 
―労働集団合同評議会の沿ドニエストル共和国建設過程の解明―
Disintegration of the Soviet Union and Formation of the De Facto State in the End of the Cold War: 
Analysis of the Political Building Process of Transnistria Republic by OSTK

 旧ソ連圏の事実上の国家は、ソ連解体期に内戦型紛争へと至る過程で統治の実効性を確立した。グルジアの南オセチアとアブハジア、アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ、モルドヴァの沿ドニエストルでは、共和国から事実上の分離独立を果たし、現在まで実効支配が及ばない地域となっている。
 この中で沿ドニエストルはソ連解体期に自治を有さなかったが、実効的な統治を確立した特異な側面を持つ。同地域は1990年9月の分離宣言、92年3月の沿ドニエストル紛争勃発、7月の一時停戦締結の過程で国家の基本的機能(政府、議会、軍、国立銀行等)が形成された。いかなる政治力学が働いて事実上の分離独立へと至ったのか。
 本報告の目的は、沿ドニエストルで事実上の国家が形成されるまでの政治過程をモルドヴァからの分離独立を主導した労働集団合同評議会に着目して論じる事である。ソ連解体期に生成された沿ドニエストルは、法的地位が曖昧な状態で現在も存続している。報告ではその過程を内在的に説明する事で、冷戦から現在への連続/非連続性に何らかの示唆を与えたい。



16:40~18:10 文献紹介(担当:石垣 勝 / 東京大学 大学院総合文化研究科)
        市川浩『冷戦と科学技術 ―旧ソ連邦 1945~1955年―』ミネルヴァ書房、2007年:



2014年3月15日土曜日

第10回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年4月12日() 15:00~18:10
【 会場 】 東京大学駒場 キャンパス 14号館 307号室

【 プログラム 】
15:00~16:30 講演:増田耕一(海洋研究開発機構 統合的気候変動予測研究分野 主任研究員)

冷戦期における気象に関する世界規模協力体制の発展
Development of Global Meteorological Cooperation in the Cold War Period

 気象に関する世界規模の情報共有・交換の体制はとくに冷戦期に発展した。
 気象事業官庁間の国際共同事業として、1951年に「世界気象機関(World Meteorological Organization: WMO)」が発足、1963年には同機関の下で「世界気象監視計画(World Weather Watch: WWW)」が開始され、現在まで継続している。また、国際科学会議(ICSU)を推進主体とする国際共同事業として、1957年7月-1958年末に実施された「国際地球観測年(International Geophysical Year: IGY)」、1970年代に実施された「全球大気研究計画(Global Atmospheric Research Program: GARP)」などがある。
 これらの事業で情報の公開・共有が進んだ動機は、科学者や文民官僚らが冷戦体制に抗して推進した面と、東西対立を是とする勢力が気象情報を公開したほうが冷戦を有利に戦えると考えた面とがあるが、両者をよりわけるのは困難である。
 ここでは、主にEdwards の著書*の第8-9章に依拠しつつ、気象学者としてのわたしの知見も加えながら、冷戦期に進められた国際共同事業体制の発展について考察する。
* Paul N. Edwards (2010), A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming, MIT Press.



16:40~18:10 文献紹介(担当:木村謙仁 / 東京大学 大学院工学系研究科)
David S. Painter (2010), "Oil, resources, and the Cold War, 1945-1962", in Leffler, M.P. & O.A. Westad (eds.), The Cambridge History of the Cold War, Vol.I, Cambridge University Press, pp.486-507.




2014年2月10日月曜日

第9回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年3月21日(金・祝) 15:00~18:10
【 会場 】 東京大学駒場 キャンパス 14号館 308号室

【 プログラム 】
15:00~16:30 講演:谷川建司(早稲田大学 政治経済学術院 客員教授)

冷戦期のアメリカ広報外交におけるスポーツの利用 ―CIE映画、VOAラジオ放送、マンガ―
Use of Sports in U.S. Cultural Diplomacy during Cold-War Era: CIE Films, VOA Radio Broadcasting and Manga

  冷戦期にあって、米国が世界に対して、ソ連の体制よりも自国の民主主義体制のほうが優れているのだと説得的に対話していく際の突破口を切り開く有効なツールとして、スポーツ、特にベースボールが強調された。ベースボールへの親和性が強い日本に対しては、CIE映画やVOA日本語放送というメディアに載せたソフトとしてのスポーツやベースボール関連コンテンツによってコミュニケートすることが、アメリカの対日占領政策を円滑に行わせる上でとりわけ有効だった。
  本発表では、1) CIE映画の中におけるスポーツ(ベースボール)の占めていた割合について、一都三県におけるCIE映画上映会の1950年一年間の上映回数・動員数の調査、2) 米国務省がVOAラジオ放送を通じて特に日本に対して数々のベースボール関連番組を放送したほか、日本、南米、近東、そしてフィリピンを中心とする他の極東の国々に対してジャッキー・ロビンソン出演の特別ラジオ番組の数々を計画したケース、そして3) 同じくロビンソンの伝記が子供向けマンガ物語として日米同時出版されたケース、について考察する。



16:40~18:10 文献紹介(担当:濱村 仁 / 東京大学 大学院総合文化研究科)
貴志俊彦・土屋由香(編)『文化冷戦の時代 ―アメリカとアジア―』国際書院、2009年:
                                                


2014年1月13日月曜日

第8回例会

(※ 終了しました)
【 日時 】 2014年2月22日() 15:00~18:10
【 会場 】 東京大学駒場 キャンパス 14号館 307号室

【 プログラム 】
15:00~16:30 講演:伊豆田俊輔(東京大学 大学院総合文化研究科)

東ドイツにおける非スターリン化の失敗(1956/1957) ―「ハーリヒ事件」と社会主義知識人たち―
The failure of destalinization in East Germany 1956/57: “Harich Affair” and the socialist intellectuals

 1956/57年はソ連・東欧圏にとって、非スターリン運動の端緒として大きな意味を持つ年であった。そのなかでも、東ドイツは特異な変容を遂げることになる。東独指導部は、政治・経済・文化の面で、スターリン時代の刻印を残した支配体制をむしろ強化するのである。
 ここでは、東ドイツの知識人(公論形成に影響力をもった研究者や頭脳労働者、芸術家)が世界的な非スターリン化運動に対して、いかなる反応を示したのかを、哲学者ハーリヒ(Wolfgang Harich)の事例を中心に考察する。彼は1956年、冷戦緩和と科学技術の進展という認識のもと、東ドイツのスターリニズム克服を構想するが、これにより逮捕され有罪判決を受けることになる。
 本報告は、この事件の過程から、第一に、スターリン主義批判が東ドイツ知識人層においても自発的に生まれていたことを明らかにし、第二に、知識人層におけるスターリン主義批判の背景と帰結、彼らの国際情勢・社会変動に対する認識を詳らかにすることを目的とする。



16:40~18:10 文献紹介(担当:石垣 勝 / 東京大学 大学院総合文化研究科)
下斗米伸夫『アジア冷戦史』中央公論新社、2004年: